主な事業
文化人による講演。出版物への原稿作成等の文化事業。世界ざまざまな言語の翻訳、通訳、語学指導。

外国人とのコミュニケーション
「国際井戸端会議」は、あなたの街に国際化の風を運びます。会議はアメリカやドイツなどの主要先進国はもとよりアジア・アフリカ諸国から言語も習慣など、まるで異なる国々の人々が参加して、日本の現代事情や地域に根付いた伝統の暮らしぶりなど多岐に及ぶ話題を立場を変えて率直に論議を交わします。それはエネルギッシュで皆様が必ずハッとするような発見がある国際感覚の楽しく親しみやすいイベント会議です。
もちろん、観客も参加できるように構成配慮されていますので、一体感も十分に味わえます。
 なお、司会進行を稲川素子自身がつとめ、軽妙なおしゃべりと楽しいジェスチャーで会場を一段と盛り上げます。
「教育国際大使団」とは現代日本の教育事情に精通した、さまざまな国の外国人がその国の文化の香りとともに、あなたの学校や街に訪問して児童・生徒と一緒に語り合い、コミュニケーションすることで日本に居ながらにして、生きた国際体験を実現するものです。派遣いたします外国人は、当社がNHK教育テレビ出演などのため、語学力だけではなく気質や品行にいたる要件から厳しく選んだ人材です。いずれも国際言語である英語を中心に、フランス語・ドイツ語など出身国の言語(母国語)を織りまぜて実施するコミュニケーションは、児童・生徒らにとって日本との比較や海外諸事情を直接知ることになり、海外に改めて目を向ける新鮮で大きなきっかけになります。詳しくはこちら
講演
●稲川素子講演
私の話は今まで娘をピアニストに育て、そして、50才から会社を設立し、一途に働き続けている人生の体験談です。
題材は「人生は50才からでも遅くない」「異文化交流の重要性」「子育て」など。外国人との価値観の違いなどの話しの中から、お聴き下さる方々が、いつの場合も精一杯であったことをお汲み取りいただければ幸いです。

講演歴などはこちら

文化芸術

稲川佳奈子
プロフィール
稲川 佳奈子(いながわ かなこ)
― ピアニスト ―
福岡県生まれ。1981年桐朋学園大学演奏学科卒業。1984年朝日新聞社主催「第3回新人音楽コンクール」第1位大賞、グランプリ受賞、文部大臣賞受賞。井口秋子、安川加寿子、ウラド・ペルルミュッテル、コンラッド・ハンゼン、エレナ・クラビアン各氏に師事。高校在学時から九州交響楽団と度々協演。1995年ドイツコンサートツアー。1997年東京公演。1999・2000年ロイヤルメトロポリタン管弦楽団協演。アメリカ在住。稲川素子実子。
Fleuve de son
― クラシック アンサンブル ―
クラシックの美しい音楽を皆様にお届けしたいと思います。
●メンバー
 ピアノ:稲佳奈子
 ヴァイオリン:瀬祥子
 チェロ:水谷優子

上記の演奏者は、日本の指揮者・作曲家である近衞秀麿(後陽成天皇の男系12世子孫)の子息、秀健に繋がる者で構成しています。
偶然、皆の名前に「川」の文字が付く事で、「Fleuve de son」(小さい川の流れが集まって大河になるという意味)という名前のクラシック アンサンブルを結成しました。
yumi
― フルーティスト ―
幼少のころより、ピアノを学ぶ。作曲もたしなみ、
今までに多数のオリジナル曲を作曲。14歳よりフルートを学ぶ。
フルートを川島祐子、北村薫、三上明子、竹澤栄祐、工藤重典、
パウル・マイゼン、ウォルフガング・シュルツの各氏に師事。
ソルフェージュを茂木眞理子氏に師事。
ジェームズ・ゴールウェイ氏のマスタークラスにおいて、
「極めて豊かな音楽性と驚くべきテクニック」と
その才能を高く評価され、模範演奏を披露する。
夏 天星(カ テンセイ)
― 声楽・詩・書・画家 ―
1950年北京生まれ。幼児から祖父の指導下、中国の伝統文化、詩・書・画を勉強。23才から声楽・オペラを学ぶ。中央音楽学院〈北京)、東京芸術大学音楽学部オペラ科研究生修了。中国オペラ界にて主役を努める。
1988年以後、日本、ヨーロッパにて出演多数。叙情性豊かで、力量感溢れるテノールは、イタリア、ウィーン、東京の専門家などからも世界一流水準と絶賛される。
現代中国集声楽と詩・書・画の芸術家のひとりです。
中国音楽家協会会員と中国書道家協会会員。
 
1985年 中国北京オペラ界主役担任、北京創作歌劇出演
1988年 北京個人詩書画展、音楽会開催
1989年 東京銀座ギャラリーギンザサロン個展
1990年 東京モーツァルトサロン音楽会開催
カザルスホール アジア青年音楽家コンサート出演
1991年 東京芸術劇場リサイタル開催
1992年 市川市文化会館リサイタル開催
1993年 東京日中友好美術館個展開催
王 建軍(オウ ケングン)
― 武術家 ―
中国武術最高権威であるシージャーハイ体育スポーツ学校〈リーリンチェン出身)を経て、北京市の第一期プロ武術スポーツ選手となる。中国国家体育委員会より、゛中華人民共和国第三級体育栄誉奨励賞゛を三度受賞。中国武術代表団として世界15ヶ国を訪問、公演。
 
1982年 全国武術選手権試合 自由形第一位 棍棒術第二位 全能第二位ほか
1983年 全国武術選手権試合 自由形第二位 対練第二位 全能第一位ほか
1984年 全国武術選手権試合 拳術第二位 棍棒術第一位 全能第二位ほか
1986年 全国武術選手権試合 刀術第一位 自由形第一位 全能第五位ほか